EDUCATION OKINAWASTORY
沖縄教育旅行の魅力
歴史
沖縄の歴史について
学ぼう
140年ほど前は、 琉球王国という独立国だった沖縄県。
他国の影響を受けながら育まれ、 戦争により大きく変貌した独自の歴史をたどってみましょう。
学ぶことのできる
SDGs持続可能な
開発目標
琉球王国 -独自の文化を築いた王国-
琉球王国とはどのような国だったのでしょうか。建国前の三山時代や琉球王国の成立、薩摩の侵攻を経て、琉球処分により琉球王国が幕を閉じるまで、その歴史の流れを調べてみましょう。
- 独立国家の琉球王国の成り立ちについて調べてみよう。
- 薩摩の侵攻により、琉球王国制度が解体された背景について調べてみよう。
450年以上続いた琉球王国
琉球王国が誕生する前は、沖縄本島は「南山(なんざん)」「中山(ちゅうざん)」「北山(ほくざん)」の3つの国に分かれ争っていました。この頃を三山時代と呼びます。
その後、1429年に南山の支配下にあった権力者の尚巴志(しょうはし)が初めて三山統一を成し遂げ、琉球王国・第一尚氏王統が始まりました。しかし1609年、薩摩藩が3,000人の兵を琉球に送り込むと、琉球は日本の幕藩制支配下に組み込まれ、その後270年間、薩摩の支配下に置かれることになりました。さらに明治政府は、これまで日本と中国と深い交流があった琉球王国について、1872年に琉球藩を設置し、中国(清)との(冊封・朝貢)関係を絶たせた後、1879年に琉球藩を廃して沖縄県を設置し、段階的に日本の版図に組み込みました。これらの一連の流れを「琉球処分」といい、これにより、第一尚氏から続いた琉球王国の約450年にわたる歴史は幕を閉じます。
太平洋戦争 -住民を巻き込んだ沖縄戦-
日本という国のあり方を大きく変えてしまった太平洋戦争。その中で、多くの県民が犠牲となった沖縄戦とはどんなものだったのか、学びましょう。
- 多くの人が犠牲となった沖縄戦では何があったのか調べてみよう。
- 集団自決や対馬丸の沈没など、戦争中に起こった悲劇ついて調べてみよう。
太平洋戦争勃発と沖縄戦
1941年、太平洋戦争が起こりました。はじめ優勢だった日本軍は半年後には劣勢になり、太平洋の島々は徐々にアメリカ軍に占領されてしまいます。
1945年3月26日にアメリカ軍は慶良間諸島へ上陸を開始し住民を巻き込んだ地上戦が始まります。戦争には、今の中学生から高校生にあたる男子学生が通信兵や特攻切り込み兵として、女学校の生徒たちは補助看護婦として参加させられました。6月23日に牛島司令官が自決し、アメリカ軍は7月2日に沖縄戦の終了を宣言しました。この90日間に渡る沖縄戦では多くの住民も犠牲になり、当時の人口で県民の4人に1人が亡くなったといわれています。
集団死(集団自決)の悲劇
当時、住民は軍によって、アメリカ兵やイギリス兵に捕らえられたら、女性は一人残らず乱暴され、男性は最も残忍な方法で殺されると信じ込まされていました。渡嘉敷島では、米軍に殺されるくらいならと、親が子を、兄が妹や弟を殺していったのです。その数は329人といわれています。本島中部・読谷村のチビチリガマでも、アメリカ軍の上陸で逃げられないと思った住民80人以上が、命を絶っています。
学童疎開船「対馬丸」の沈没
日本政府は、沖縄、奄美大島、徳之島のお年寄りや子ども、女性を島外へ疎開させる命令を出しました。そのうち、那覇や中北部の国民学校の生徒たちが集団で対馬丸に乗り、長崎へ疎開することとなりました。対馬丸は軍艦ではなく貨物船だったため窓がほぼなく、船内は蒸し風呂状態だったといいます。
護衛艦や僚船2隻とともに出航した対馬丸ですが、出航時からアメリカの潜水艦に追跡され、攻撃の対象に。出航から27時間30分後、ついに鹿児島県の悪石島近くで攻撃に遭い、約10分で沈没してしまいました。真夜中の出来事だったため大多数の人が脱出できず、多くの犠牲を出しました。
米国統治 -日本への復帰から現在-
戦後27 年間の米国統治が続いた沖縄。本土復帰を果たしたものの、いまだ米軍基地が島の多くを占める現実があります。そんな中でも、社会、経済などの水準を高め、自立できる沖縄への歩みを進めています。
- 戦後、米国の統治下で復興を目指した沖縄の社会情勢について調べてみよう。
- 日本に復帰した後の沖縄が抱える問題について話し合ってみよう。
米国統治下の沖縄
アメリカに支配された沖縄の自治権はかなり制限されたものでした。1946年、沖縄、宮古、八重山、奄美諸島の四カ所に分けて民政府が作られました。1950年、各民政府は群島政府になり、1952年に四つの群島政府は琉球政府と統合。琉球政府の長である行政主席は、沖縄統治についての責任を負う組織である米国民政府が任命しました。
1972年5月15日、沖縄は日本復帰を果たしますが、沖縄の人々が望んでいた内容とは違い、多くの基地が残されています。現在、日本にある米軍専用施設の約70%が沖縄に集中し、沖縄本島では総面積の約15%を占めています。その存在により、日常的に基地周辺の住民を苦しめるのが騒音被害です。2004年には沖縄国際大学の校舎に米軍のヘリコプターが墜落し炎上するなどの事故も起きました。米軍基地による環境汚染や騒音、米兵による事件、事故などの被害は今でも後を絶ちません。
沖縄の歴史が学べる体験学習プログラム
- 本島中部
- 平和学習
- 自然体験・環境学習
- 歴史・文化学習
- SDGs
【嘉手納町】マングローブ観察カヤック体験
- 広域
- 平和学習
- 歴史・文化学習
- 産業・キャリア学習
- SDGs
- その他
【広域】デジタル三線MAPツール
- 本島南部
- 歴史・文化学習
- 産業・キャリア学習
【南城市】紅型体験
- 本島北部
- 歴史・文化学習
【本部町】可愛いシーサー色塗り体験
- 本島南部
- 歴史・文化学習
【本島南部】キラ玉ストラップ作り
- 広域
- 歴史・文化学習
- 国際理解
- SDGs
- 探究学習
- 分散化支援対象
まちなかENGLISH QUEST(通称まちクエ)(支援対象No.006)
- 広域
- 平和学習
- 歴史・文化学習
【本島中部・南部】沖縄の日常にある米軍基地をテーマにした沖縄のお笑い舞台
- 本島南部
- 歴史・文化学習
- SDGs
- 分散化支援対象